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フットゴルフアジアカップ日本代表選手紹介②(シニア)
2018.06.13 11:01 Topics
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日本フットゴルフ協会は、6/12(火)の記者会見にて、アジアカップの日本代表選手を発表した。
カテゴリーは男子(10名)シニア(4名)女子(4名)の3カテゴリーで、日本代表は以下の通り。

 

     

 

シニア日本代表

大塚 有尋(おおつか ありひろ)

小学校時代は野球やソフトボールのために毎日学校に行っていたようなもの。中学に野球部がなかったのでなんとなく入った部活でサッカーと運命的に出会う。
プレーヤーとしてはとりあえず持っていた俊敏性と俊足を活かしたシンプルで強引なタイプのFWだったが、何故かトレーニング理論に興味を持ち当時はレアだったドイツの指導書を手に入れ中学生の分際で読みこむ。進学した高校のいわゆる日本の部活的な練習に馴染めず地域の社会人クラブでプレーするもやはりサッカーへの渇望が収まらず、その欲求のはけ口が音楽に向かいジャズにハマるきっかけとなり勉強もそっちのけでジャズの名盤を聴きまくる生活が始まる。
大学に入ると2年間休学してアメリカに留学。休暇の度にニューヨークに乗り込み当時まだ存命していたジャズの巨匠たちの生演奏をビレッジで聴きまくる。同時にヒップホップの黎明期の音楽シーンも衝撃的に経験。大学では留学生仲間のアルゼンチン、コロンビア、ペルー、UAE、サウジアラビア、リビア人たちや同寮のアメリカ人学生たちと同好会リーグ等でプレーし、サッカースタイルのお国柄を肌で感じる。仕事を始めてからはプレーする機会は減ったものの、W杯は94年大会から連続で現地観戦をするなどサッカーフリークを自認。
そして長男がサッカーを始めた事がまた別の角度からサッカーに関わるきっかけとなる。クラブのなかった地元にジュニアチームを作ると、日本協会のライセンスを取得するなど今度はコーチングの勉強にハマることとなる(クラブからはなでしこジャパンや高校選手権出場選手を輩出)。
JFA C級ライセンスに加えイングランド協会のライセンスも保有するが、国内の指導法に飽き足らず、仕事で海外に頻繁に出向く機会を利用して欧米ののトップリーグの試合だけでなく世界各地の育成年代のトレーニングの現場をチェックしまくる。特にフランスのカンヌ周辺は20年近く定点観測中。欧州基準の指導を地元クラブ「藤野FC2000」と相模原市トレセンで今も鋭意挑戦中。

そして究極の生涯スポーツ「フットゴルフ」に出会った現在は、海外のサッカー好きの仕事仲間をフットゴルフに誘ったり、訪れた現地のプレーヤーと交流するなどまた新たな楽しみを経験。欧米のサッカー好き音楽業界人たちとカンヌ郊外のコースで来年はコンペでもやろうかと盛り上がっている。

 

工藤 誠司(くどう せいじ)

根城小(軟式野球→バスケット→水泳→サッカー)→根城中(サッカー部)→百石高校(サッカー部)→東海大学(同好会サッカー部)→NTT本社サッカー部

小学校時代は体が弱くスポーツも得意ではなかったが、身長が高いということで補欠のキーパーをすることとなる。
中学校は地元の小学校の3校が合流するような強豪校で、キーパーが豊富だったためセンターバックをするようになる。牛乳の飲みすぎか突然変異か3年間で身長が約30cm伸び、体力的にも学校でトップクラスとなる。中学3年時では、青森県大会、北奥羽大会を勝ち抜き全国大会に出場するも2回戦で敗れる。
高校入学後は、脊椎分離症により3ヶ月ボールを蹴ることが出来なかったが、新人戦には間に合い青森県で優勝。高校は2年生の時の東北総体3位が最高位。大学では20歳まで同好会程度でサッカーを楽しむ程度。
社会人となり東京都社会人リーグ(2部や3部)に所属していたNTT本社サッカー部で40歳まで18年プレー。40歳時にリーグ戦で右足首の靭帯を損傷しサッカーから離れる。サッカーやフットサルには興味があったが、右足首が痛むので素人相手に楽しむ程度。

そんな50歳の春に、友人が企画した群馬でのフットゴルフイベントに参加。怪我のリスクが少なく、50歳でも楽しめ、シニアカテゴリーがあることと、あるT選手の「青春しましょう」の一言でフットゴルフを始める。最初は右足首が思うように使えず、また体力的衰えや経験値も低く苦戦続きだったことから、自宅のバルコニーを改装し、基礎体力、筋力トレーニングなどを続け、50代からでもフットゴルフは始められるということを証明する。

 

清水 芳忠(しみず よしただ)

大野北中(水泳部)→県立相模原高(水泳)→横浜国立大学(水泳部)→神奈川県産業技術総合研究所の草サッカーチーム →東京大学大学院博社会人士課程(運動せず)

小学校入学前から始めた水泳を大学まで続ける。特に速かったわけでもなく、夏に水に浸かるのが好きだたった。高校まではプレストストローク、大学では自由形の100,200mを専門種目としていた。個人競技を集団でワイワイ楽しむのが好き。球技は得意では無かったが、身体を動かす事は好きなので、就職してから職場の草サッカーチームに入る。それまでボールを蹴ったことは殆ど無かったにも関わらずサッカーを選んだ理由は、それしか無かったから。来たボールに足を当てて跳ね返す、身体を入れて相手をブロックする、横を走ってコースを切る。の3点だけに集中し、月一回程度のサッカーを23歳から40歳まで楽しんだ。
就職後、先輩や友人に誘われゴルフを知り、2回だけコースに出てみた。球をカップに入れる作業は楽しかったが、練習場で右真横にボールを飛ばした事をきっかけにゴルフとは決別。

フットゴルフに出会うまでは、特にスポーツはしていなかったが、屋内フィールドのサバイバルゲームに参加し、球(BB弾)を的(人)に当てる競技を嗜んだ。戦略的思考の楽しさを知る。ある日TVでフットゴルフの紹介を観て、フットゴルフに興味を持つ。ゴルフは全く駄目だったが、サッカーボールならなんとかなるのでは?と考えてフットゴルフを始めた。始めた年は、ジャパンオープン2回に参加。翌年からジャパンオープンにフル参戦する様になった。一般で勝負したい気持ちを捨てきれて居ないが、シニア部門が出来てからはシニア部門で日米対抗戦や米国プロアマへ日本代表として参加させてもらっている。

 

田中 猛(たなか たけし)

大宮市立(現さいたま市立)宮前小(硬式野球、サッカー)→宮前中(サッカー部)→城北埼玉高校(サッカー部)→埼玉大学(サッカー同好会)→岩槻FC→大和証券サッカー部→在ミラノ日本代表(Sol Levante)

小学校3年で硬式野球を始める。スパルタ、理不尽さに嫌気がさし始めた小5の頃に新卒の担任教師に感化されてサッカーを始める。中1夏までは同時並行だったが、一時レギュラーを外された野球にリベンジすべく毎日素振り300回を自らに課し、中1最後の大会で2ホーマーを打って野球に決別。
中学校進学後、サッカー部に入部。中1の5月にレギュラー(GK)。秋の新チームでは左MFにコンバートされ、デビュー戦で2ゴールを決め、卒業まで定位置に。中2の時に当時の読売クラブからセレクションの連絡をいただくも、距離の壁から断念。「(同学年の)カズより先に読売に声をかけてもらった」ことは本人が勝手に一生の自慢にしている(笑)。
高校・大学もサッカーを継続するも、高2で本格化したロックバンド(ヴォーカル)の活動に次第に比重が移っていき、真剣にサッカーに回帰したのは社会人(岩槻FC)になってから。天皇杯の県予選で活躍するも、惜しくも県代表を逃す。
勤務先のサッカー部では証券業リーグカップ準優勝2回。海外赴任中のミラノではフットサルで数々の現地チームを撃破するも11人制では毎年の中部イタリア遠征で連敗記録を更新したまま失意の帰国となった。

昨年1月に50歳にしてフットゴルフデビュー。約1年半の間に5回の海外遠征を含み30近い大会に出場。2017年第2回、第3回台湾オープン100シニア部門優勝、日本メジャー1000日本代表。

 

男子日本代表はこちら

女子日本代表はこちら

 

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